梁川商店街とは

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「やながわ」の名称の由来

明治への移行期、榎本武揚率いる徳川幕府は箱館(現函館)に蝦夷共和国を設立し、東京の明治政府に対峙しました。

箱館戦争に敗れた共和国統領榎本武揚は、反乱の罪で服役しますが、黒田清隆・福沢諭吉の賢明の助命嘆願の末、罪を恩赦されました。

後、黒田清隆の下北海道開拓使を任ぜられ赴任する事となります。

この時、小樽市と江別市の土地を、官有地払い下げを受け、買い受けしました。

当時手宮裡町といわれていた稲穂・富岡・緑町です。大変な荒れ地であったようです。

暫くの後に、現、小樽駅前の朝日生命ビル辺りに「北辰社」を設立し土地の管理にあたりました。

小樽市発展に多大な寄与を果たした事は、周知の通りです。武揚は、明治政府の下、歴代の総理大臣に仕え、逓信大臣・商工大臣等々めざましい活躍をし、日本国の国力発展増強に勉めました。

また、日本とロシアの国境を画定するため、日本全国権対しとしてロシア政府との交渉にあたりました。

時の女帝カテリーナの信任も厚く、大津事件にも重大な結果を及ぼさなかったのは、榎本への信頼関係が影響したようです。

また後々明治天皇からも厚い信頼を受け、ご晩酌の相手にと度々御召しがあったと聞いております。

やながわ通り・やながわ商店街の「やながわ」は、榎本武揚の号が、梁川(りょうせん)と称したことからその功績に感謝と尊敬の意も込めて、訓読みした上、命名させていただいたといわれています。

また、静屋通りの「静屋」は、武揚の部下で、後に北海道知事・京都知事を拝命した北垣国道の号をいただいたものです。

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